日本人墓地公園の存続は大丈夫だろうか
今年2019年に日本人墓地公園は政府との30年リース契約の更新を迎える。
(けっこう広い敷地だ)
30年+20年オプションのリース契約になっており今年が最初の30年の期限を迎える。契約が更新できないこまったどうしよう的なニュースを見聞きしないので無事に20年更新できたのだろう、多分きっと。
日本人墓地公園の歴史は古く1891年に設立された。ざっくりの沿革は
1888:ビジネスで成功した日本人が英国植民地政庁に本人が保有する土地を墓地として使用できるように申請を行う。
1891:申請許可が出る
1949:敵産処分法により接収されたまま日本総領事に管理が任される
1987:政府から墓地の接収の通告*が出たが当時の大使が交渉し1989年から30年+20年のリース契約にこぎつく、名前も日本人墓地から日本人墓地公園に変更。
*土地が狭いシンガポールでは墓地の接収はこれまでも多々あり外国人である日本人の墓地だから接収の対象になったわけではない。
経緯はまさしく歴史そのものである
有名どころではハリマオや音吉の墓があり関心が彼らに向かいがちだが他にも見逃せない人々が眠る、その一人が西村竹四郎(1871〜1942)ではなかろうか。
西村竹四郎:福岡県久留米市に生まれ、東京大学の医学部を卒業し、1902年に来星し病院を開業する。日本人だけでなく現地の人々の治療にあたり多くに親しまれる。1930年代に反日の嵐が起こる中で反日を和らげるため尽力する。また著書『在南三十五年』があり戦前の日本人社会の実状を知る貴重な史料になっているそうだ。
個人の墓以外にひのもと地蔵なるお地蔵様がある、これまたビジネスに成功した料亭のおかみさんがシンガポールに住む日本人女性の安産と子供を見守るためと戦後の混乱で不慮の死をとげた日本人の冥福のために立てたそうだ。
昨年念願の子供を授かった。子が日本人のアイデンティティーを持った場合にシンガポールにおける日本人の歴史に興味を持つかもしれない、もしそうなれば話せるようになりたいと思う。在南三十五年は是非読んでみたい。